労働者の尊厳、生活、キャリアを守るべく配転命令の規制立法を求める意見書
2025/9/22
労働者の尊厳、生活、キャリアを守るべく配転命令の規制立法を求める意見書
2025年9月22日
日本労働弁護団
会長 井上幸夫
1 配転規制立法の必要性について
⑴ 転勤は社会問題化している
共働き世帯の増加、育児・介護の必要性、そうした事情から、育児・介護を含めた私生活を重視する労働者や、男女関係なくキャリアの尊重を願う労働者と、転勤ありきの会社との間に深刻なギャップが生じてきている。
近年では、転勤がある会社には就職しない、転勤命令を受けると転勤よりも転職を選択するという流れが広がってきている[1]。
⑵ 労働契約法に配転に関する具体的な定めはない
労働契約法は、平成19年に制定され、数度(平成24年8月、平成30年7月)の改正がなされているが、未だに配転命令に関する具体的な規制はない。
⑶ 現行の他の労働関係法令に定めはあるものの不十分である
現行の他の労働関係法令には、配転命令に関する定めとして以下の3つがある。
・育児介護休業法26条の定める配置転換における配慮義務
・男女雇用機会均等法6条1号、同法7条の定める性別を理由とする差別禁止
・障害者雇用促進法36条の3の定める障害者の均等な機会の確保等の措置義務
⑷ 規制立法の必要性
ア 東亜ペイント事件最高裁判決に依拠する裁判所の態度が、長らく、日本における使用者の広範な配転命令権を認める要因となっている。
イ もっとも、近年においては、育児介護休業法26条を考慮し、同条に規定する配慮について配慮をしなかったからといってそれだけで配転命令が直ちに違法となるというものではないが、その配慮の有無程度は、配転命令を受けた労働者の不利益が、通常甘受すべき程度を著しく超えるか否か、配転命令権の行使が権利の濫用となるかどうかの判断に影響を与えるということはできるとしたうえで、要介護者の存在が明らかになった時点でもその実情を調査もしないまま配転命令を維持したのは育児介護休業法26条の求める配慮としては十分なものであったとは言い難いとして配転命令権の濫用にあたり無効であると判示した裁判例(ネスレ日本〔配転本訴〕事件・大阪高判平成18年4月14日労判915号60頁)や、育児の負担がどの程度のものであるのか、これを回避するための方策はどのようなものがあるのかを、少なくとも当該労働者が配置転換を拒む態度を示しているときは、真摯に対応することを求めているものであり、既に配転命令を所与のものとして労働者に押しつけるような態度を一貫してとるような場合は、同条の趣旨に反し、その配転命令が権利の濫用として無効になることがあると解するのが相当であるとしたうえで、すでに本件転勤命令を所与のものとして、これにXが応じることのみを強く求めていたと認められ、育児介護休業26条の趣旨に反しているといわざるを得ないとし、共働きの夫婦における重症のアトピー性皮膚炎の子らの育児の不利益は通常甘受すべき不利益を著しく超えるものであるとして配転命令権の濫用にあたり無効である判示した裁判例(明治図書出版事件・東京地決平成14年12月27日労判861号69頁)がある。
ウ しかしながら、このように育児介護休業法26条の趣旨を考慮し、転勤が仕事と育児や介護との両立に与える不利益を重視する裁判例が出てきているものの、そもそも、配転命令に関して法的手続をとって裁判所で争うということ自体、労働者、特に育児や介護といった事情を抱える労働者にとっては負担が大きすぎる。
加えて、前述したような裁判例が出てきてはいるものの、いまだに配転命令に関して厳しい判断を示す裁判例も存在する。つまり、労働者にとって、時間と労力をかけて争っても、自身や家族の生活や将来を守る結論を得られるとは限らないのである。
エ これらの点から、育児介護休業法26条は、早急に、後述する内容に改正すべきである。
前掲明治図書出版事件において、「女性が仕事に就き,夫婦が共働きをし,子どもを産んでからも仕事を続けることは,実際に就労している世代の国民の間に既に許容されている今日の社会の状況,男女共同参画社会の形成に寄与すべきことを国民の責務とする男女共同参画基本法の趣旨,少子化社会を克服すべく「多様な生き方が可能になる社会」「子どもを育てたい,育てて良かったと思える社会」「子育てという選択をする生き方が不利にならない社会」等を目指す政府の取組み等に照らすと,債権者の妻が仕事をもっていることの不利益を債権者又はその妻の一方が自らの仕事を辞めることでしか回避できない不利益を「通常の不利益」と断定することはもはやできないといわざるを得ない(このことは,債権者が総合職であることだけでは左右されない。)」と判示されてから、すでに20年以上が経過している。男女ともに、育児や介護といった労働者の家庭責任や私生活における希望に対応しつつ、仕事やキャリア形成とも両立できる社会の実現に向けて、今こそ、立法を整備する必要がある。
なお、今回は緊急性の高い育児・介護に関する配転規制を提案するものであるが、配転全体の規制については別途検討される必要がある。
2 具体的な育児介護休業法26条の改正案について
⑴ 現行の育児介護休業法26条の定め
現行の育児介護休業法26条は、以下の内容を定めている。
「事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うものをしようとする場合において、その就業の場所の変更により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となることとなる労働者がいるときは、当該労働者の子の養育又は家族の介護の状況に配慮しなければならない。」
⑵ 育児介護休業法26条の改正案
育児介護休業法26条は、以下の通り改正すべきである。
① 事業主は、その雇用する労働者の配置の変更で就業の場所の変更を伴うもの(以下「転勤」という。)をしようとする場合には、当該転勤を命じる60日前までに、予定している転勤先における業務内容、その就業の場所、転勤の必要性、人選の理由、不利益緩和措置をとる場合はその内容について、書面をもって説明するとともに、当該労働者から転勤についての意見を聴取したうえで、誠実に協議しなければならない。
② 事業主は、転勤を命じようとする場合であっても、当該労働者から、転勤により就業しつつその子の養育又は家族の介護を行うことが困難となる旨の申し出を受けた場合には、当該労働者を転勤させてはならない。ただし、当該労働者の本項の申し出に合理的な理由がないときには、この限りでない。
③ 事業主は、労働者が本条1項の意見を述べたこと、前項に基づく申し出をしたことその他転勤に関する事由であって厚生労働省令で定めるもの[2]を理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益取り扱いをしてはならない。
④ 本条1項の意見を述べ、又は本条2項に基づく申し出をしてから1年を経過しない労働者に対してなされた解雇は、無効とする。
ただし、事業主が当該解雇が前項に規定する事由を理由とする解雇でないことを証明したときは、この限りでない。
以上
[1] 東京商工リサーチのアンケート調査では、転勤や配置転換、グループ会社への転籍を理由とした従業員の退職が直近3年であったかという質問に対し、全企業で30.6%、大企業は38.0%で従業員の退職があったという回答結果になっている。(https://www.tsr-net.co.jp/data/detail/1201755_1527.html)
[2] 例えば、転勤に同意をしなかったこと、第三者に相談したことなどが想定される。