労災保険制度の見直しに関する議論に対する意見書

2026/2/19

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労災保険制度の見直しに関する議論に対する意見書

2026年2月19日
日本労働弁護団
会長 小島周一

 

第1 はじめに

労災保険制度は業務上の災害発生に際し労働者に対する迅速かつ公正な保護を確保するために1947(昭和22)年に制定された。その後、それぞれの時期における社会的ニーズに対応した改正が重ねられてきた。

一方、女性の労働参加の進展、さらなる就労形態の多様化など、労災保険制度を取り巻く環境は常に変化を続けており、そうした状況を踏まえ、2024年12月24日、厚生労働省は、労災保険制度の現代的課題を包括的に検討するという目的のもと、「労災保険制度の在り方に関する研究会」(以下「労災保険在り方研究会」という。)を立ち上げ、現状の分析や論点整理を行い、今後の在り方の検討を進めて、2025年7月30日に中間報告書(以下、「中間報告書」という。)を公表した。そして、労働政策審議会の労働条件分科会労災保険部会(以下、「部会」という。)において議論がなされ、2026年1月14日、労働政策審議会から厚生労働大臣に建議がなされるに至った(以下、「建議」という。)。

もっとも、中間報告書及び建議の内容を見る限り、以下の問題点がある。本意見書は、実務的ないくつかの問題点を具体的に指摘したうえで、当弁護団としての意見を述べるものである。

 

第2 適用関係に関する点

労災保険在り方研究会において、労災保険の適用関係として、①強制適用をすべき労働者の範囲及びその保険料負担、②家事使用人への災害補償責任及び労災保険法の適用、③暫定任意事業への適用、④特別加入制度に係る、特別加入団体の災害防止への役割を求めること及び法令上特別加入団体の許認可・取消要件を明確化するかについて議論された。

①についてはそれぞれ適用を拡大すべきかどうか、誰が費用を負担すべきかについて意見が分かれたといい、②については、労基法が家事使用人に適用されるのであれば、災害補償責任及び労災保険法の適用がされるべきことについて概ね意見が一致したといい、③についても適用拡大について意見がおおむね一致し、④について、災害防止への役割を担わせることについて意見が分かれ、許認可・取消要件の明確化については概ね意見が一致したという。

適用関係については、労災保険法が、労働者が迅速かつ公正な救済を受けられる ように作られた制度であること、現状、個人事業主やフリーランス等と呼称される者についても、労働者性について争いが生じる事案が相当数ある一方、これらの者を自らの事業に組み込んでいる事業者がいることにも鑑みれば、労災保険法の適用対象については、労働者やこれに類似するものについても広く適用され、漏れがないようにされなければならない。そもそも、労災保険法の対象となる「労働者」、すなわち、労働基準法上の「労働者」の範囲が明確でなく、その範囲も限定的であることに問題がある。「労働者」性の問題については、現在、厚生労働省において「労働基準法における『労働者』に関する研究会」が設置され、検討が進められているところであり、より広く「労働者」とされる範囲が明確にされるべきである。

他方、現行制度上は、「労働者」性が認められない場合であっても「特別加入制度」によって労災保険法の対象となる場合があるところ、特別加入団体について、事業主と協力して災害防止についての役割を担わせることについては積極的に検討すべきである。

 

第3 給付関係に関する点

1 遺族(補償)等年金について

⑴ 現行の支給要件

遺族(補償)等年金について、被災労働者の遺族である配偶者について、夫と妻とでは生計維持要件以外の支給要件に差異がある。つまり、生計維持要件を充足する妻は年齢にかかわりなく受給権者となることができるのに対し、夫については、生計維持要件に加え労働者である妻の死亡時に55歳以上又は一定の障害がある状態でなければ受給権が発生しない(労災保険法16条の2第1項及び昭和40年改正法附則43条)。

⑵ 現行の支給要件の差異について

現行の支給要件の差異については、労災保険在り方研究会の議論において、遺族補償年金の創設当時から半世紀以上が経過し、男女の就労状況や家族の在り方が変化していることも踏まえ、解消すべきとの点で意見は一致している。中間報告書にも、「夫と妻の支給要件が異なる状態は解消するべき」、「現在の実務が想定している程度の『被扶養利益の喪失』は妻を亡くした夫にも十分認め得る」といった意見が明記されている。現行の支給要件の差異は、夫が仕事、妻が家事・育児をする家族形態を前提に作られたものであり、今や共働き世帯が大多数となり制度設計の前提が完全に崩れている。ジェンダー平等の観点を踏まえても、現行の支給要件の差異を解消することは急務である。

具体的な支給要件の差異の解消方法については、労災保険在り方研究会の議論において、妻には課せられず夫にのみ課せられた支給要件を撤廃することに親和性のある意見で概ね一致している。

中間報告書には、妻の支給要件を夫に合わせることも検討すべきという少数意見があったことに留意が必要であるとの記載があるが、現行の支給要件の差異は、夫(男性)の要件を妻(女性)に合わせる形で解消すべきであり、建議においてもその旨の記載がある。遺族(補償)等年金は、夫婦生活を支えていた被災労働者の収入が途絶えたことに対する填補という目的を有するものであり、そうである以上、この目的は妻(女性)だけでなく夫(男性)にも共通するものであるとともに、年齢によって区切られるべきものではない。一般的な家庭モデルが共働き世帯となっている現在においては、被災労働者の遺族である配偶者は、男女いずれであっても、被災労働者の死亡によって生計の担い手を失うことになり、被災労働者の死亡前の生活水準を下げざるをえないような状況に陥るのである。加えて、被災労働者の死亡後、遺族である配偶者は、家庭責任の変化にも直面することになる。遺族である配偶者は、男女いずれであれ、被災労働者の死亡後、それまで被災労働者が担っていた家庭責任も負わざるをえなくなる。今日では、核家族化が進行していることに照らすと、妻(夫)が死亡した場合、それまで妻(夫)が担っていた家庭責任を妻(夫)に代わって担うのは夫(妻)ということになる。そして、被災労働者の死亡により家庭責任が増大した結果、遺族である配偶者が、従前と同程度の収入を得ることが難しくなる場合が想定される。日本における男女の賃金格差は、家庭責任(家事・育児等)が女性に集中していることに大きな要因があるが、それを翻って検討すると、妻の死亡により夫の家庭責任が増大した場合、遺族である夫が従前と同程度の収入を得ることが難しくなる場合も十分ありうるといえる。

このように、現行の支給要件の差異については、建議において記載されたとおり、妻には課せられず夫にのみ課せられた支給要件を撤廃することをもって解消すべきである。

そして、不合理な支給要件の差異によって遺族(補償)等年金を受給することができなかった遺族が現に存在し、支給要件の差異は違憲であるとして複数の訴訟も提起されている状況に鑑みれば、支給要件を撤廃する場合には、支給要件の撤廃前に不合理な支給要件の差異によって遺族(補償)等年金を受給することができなかった遺族に関する何らかの救済制度を創設すべきである。

⑶ 給付期間について

遺族(補償)等年金の給付期間については、労災保険在り方研究会の議論において、現行の長期給付を維持することが現時点では適当とする意見で一致した。

もっとも、遺族厚生年金では60歳未満の遺族に対して原則5年間の有期給付とする大幅な見直しがあった点などを踏まえて、中長期的には有期給付化を検討することが望ましいとの意見も見られた。

しかし、遺族厚生年金と異なり、労災保険の遺族(補償)等年金は、損害の填補としての性格をも有するものであり、訴訟によらずに迅速に被災労働者及びその遺族への補償を図るという趣旨もある。

また、繰り返しになるが、一般的な家庭モデルが共働き世帯となっている現在においては、被災労働者の遺族である配偶者は、男女いずれであっても、被災労働者の死亡によって生計の担い手を失うことになり、そうした経済的不利益の発生や、被災労働者が担っていた家庭責任も負わざるをえなくなるという家庭責任との両立の困難は、数年という短期間で解消されるものではない。なお、生計の担い手を失ったことによって受ける経済的不利益の程度に関しては、被災労働者の生前の収入に応じて給付基礎日額が算出されていることから、その時点で実態に即した対応がなされているといえる。つまり、仮に、世帯における被災労働者の収入の割合が被災労働者の遺族である配偶者よりも低い場合でも、給付基礎日額が低めに算出されることから、あえて支給期間を有期化までする必要性は乏しいといえるのである。

加えて、遺族(補償)等年金の給付期間の有期化は、被災労働者の遺族である配偶者のみならず、その子どもの養育環境にも多大な経済的影響を与えるものである。男女問わず、親が遺族(補償)等年金を長期にわたって受給できることになれば、遺族である子どもにとっても、学費等の懸念だけにとどまらず、生計の担い手を失った親の介護費用等の負担の軽減につながるのである。

2 遅発性疾病に係る保険給付の給付基礎日額について

遅発性疾病の給付基礎日額の算定について、中間報告書における「ケース1「有害業務に従事した最終の事業場を退職した後、別の事業場で有害業務以外の業務に就業中発症した場合」」、発症時賃金を基礎とし、これが最終曝露事業場離職日以前3か月の賃金に満たない場合、ばく露時賃金を給付基礎日額の算定基礎とすることでおおむね一致し、また、中間報告書における「ケース2「有害業務に従事した事業場を退職した後、就業していない期間に発症した場合」」については、退職後や離職中に発症した場合にばく露時賃金をもとに給付基礎日額を算定すること(現行どおり)について適当又は許容し得るとの意見とともに、労災保険法が想定していない場面とも考えられることから、今後の議論が必要との意見があったとされるものの、現状を維持することが適当とされた。

ケース1については、労働者にとって、生活を保障するために必要な補償を行うという趣旨に沿ったものであり、このような扱いを明確化することは必要である。

ケース2のような場合、有害業務を離職した後、有害業務以外で有害業務以上の収入を得て退職した後、発症に至る場合もある。こうしたケースでは、最終離職時の退職前の基礎日額又は、これが不明な場合には昭和51 年2 月14 日付基発第193 号通知の定める方法(業務上疾病の確定診断日に既に事業場を離脱しており離職時の賃金額が不明である場合の「平均賃金」について、第一に、確定診断日の時点での当該事業場の同種労働者の一人平均の賃金額から推認し、これが適当でない場合には、第二に、当該事業所所在地の同種、同規模事業場の同種労働者の一人平均の賃金額から推認する。)により推認した賃金額を原則として、有害業務離職時を基準とした基礎日額が高い場合は例外的に有害業務離職時を基準として算定することこそが、「公正な保護」(労災保険法1条)にあたるというべきであるから、現行の取り扱いを上記のとおり改めるべきである。

3 災害補償請求権、労災保険給付請求権に係る消滅時効について

⑴ 災害補償請求権、労災保険給付請求権に係る消滅時効の現状

労働基準法上の災害補償請求権は、行使できるときから2年間行わない場合に消滅すると定められている(労働基準法115条)。また、労災保険法上の給付請求権は、短期給付(療養・休業・葬祭・介護)については行使できるときから2年を経過したとき、長期給付(遺族・障害)については行使できるときから5年を経過したとき消滅すると定められている(労災保険法42条1項)。

⑵ 消滅時効の見直しの必要性について

災害補償請求権及び労災保険給付請求権に係る消滅時効期間の見直しについては、労災保険在り方研究会の議論において、請求手続自体が疾病の増悪を生じ得る場合には一定の配慮が必要であるとする意見があった一方、被害者の早期の権利実現を目指すべきであり、相談援助や周知等の運用改善で対応すべきとして見直しを前提としない意見もある等、その要否に関して意見が分かれた。

しかし、事故性の災害のように発生事実が明らかな場合に限らず、精神障害等の発症のように被災労働者にとって業務起因性が必ずしも明らかでない場合もある。さらに、請求手続等自体が疾病の増悪を招く場合もある。このように、労災保険給付請求権の行使は常に容易ではなく、業務上の傷病であることの認知も当然にできるとはいえないこと、また、賃金と同じ消滅時効とすることで使用者の労務管理に追加で負担を与えるとは考えられないことから、消滅時効期間については、労災保険法を改正し民法に揃えて5年とすべきである。

4 社会復帰促進等事業について

社会復帰促進事業については、中間報告書において、①処分性を持たせることについて意見が一致し、②特別支給金の保険給付化については、「その果たしている機能や保険給付と一体として支給されている実態等を踏まえれば、これを保険給付として位置づけることにより補償の安定性を確保することに資すると考えられるが、これを保険給付として位置づけることで民事上の損害賠償の調整対象となり労働者側に不利となり得ることや、ボーナス特別支給金の算定が難しい等、保険給付化を行う際の具体的な課題も多いことから、専門的な見地から引き続き議論を行う必要がある」とされた。

①については、処分性を持たせることで、その支給額の適否、支給の有無の適否等について争うことが可能となり、行政の適切性の担保の点からも、労働者保護の観点からも早期に法定すべきである。ただし、休業補償給付・遺族補償給付等のいわば本体部分の給付請求などの本体部分が不支給となって争っている際に、特別支給金等、社会復帰促進事業について独自の審査請求等を行わなかった(失念した)場合でも、これを行うべきことの教示や、本体部分の不支給決定の取消があった場合には当然に特別支給金等の支給もなされるべきことは確認されるべきである。

②については、当弁護団2025年5月28日付「労災保険の特別支給金を保険給付に一体化すべきとの意見に反対する声明」に述べたとおり、そもそも、社会復帰促進等事業は、法定の保険給付では対応しきれない個別事情や時代の変化に柔軟に対応するための制度であり、省令等で弾力的に運用することができ、制度改正に時間がかかる法定給付とは異なる性格を有しているものであって、保険給付と性質を異にしており、これを保険給付と一体化すべき理由はないし、これが保険給付化されることにより、損益相殺の対象となることで被災労働者・遺族が重大な経済的不利益を被り、使用者に対しては災害防止のインセンティブを一層そぐことにつながる。そのため、保険給付化は行うべきではない。

 

第4 徴収関係に関する点

1 メリット制について

建議では、「メリット制には一定の災害防止効果があり、また、事業主の負担の公平性の観点からも一定の意義が認められることから、メリット制を存続させ適切に運用することが適当である」とされている。

しかしながら、仮にメリット制に一定の効果がみられるとしても以下のようなデメリットがあるため、メリット制を維持するかどうかも含め、抜本的な見直しが必要である。

すなわち、小規模事業主との不公平が生じることが指摘できる。メリット制の適用を受ける事業主(特定事業主)は、100人以上の労働者を使用する又は20人以上100人未満の労働者を使用した事業であって、災害度係数が0.4以上である事業主であって、一定規模以上の事業主である。

そして、メリット制の適用を受けて減少した労災保険の総額は約1767億円であり、特定事業主のうち減額を受けている割合は約82.7%である(令和5年(2023)度の数値)。つまり、特定事業主の多くはメリット制の存在によって保険料の減額を受けるという利益を得ているのである。他方で、特定事業主でない小規模事業主は、いくら労災予防のための措置を行っても保険料は減額されない。特定事業主であってもなくても労災予防措置を講じる必要があるにもかかわらず、一定規模以上の事業主が多い特定事業主のみが保険料の減額を得られるという制度は不公平であり、事業主間での公平な競争を阻害するおそれもある。

また、厚生労働省が労災保険在り方研究会第5回において示した「資料2 メリット制について」によれば、メリット収支率がマイナスでメリット制が適用された事業場については、業種全体よりも増減率が低い場合と高い場合が同程度混在しており、同資料のもととなった調査だけをもってしてはメリット制の効果の有無を判断できるものではないものとしている。そうすると、少なくとも、災害が発生しないことを理由とする保険料減額(最大40%)については、災害減少の効果が生じていないことが実証されているのであるから、この制度を廃止すべきといえる。

このように、メリット制に関しては、その機能の有効性を含めてさらなる検討を行い、その維持・廃止を含めて抜本的な見直しを行うべきである。

2 労災保険給付が及ぼす徴収手続の課題について

⑴ 支給決定(不支給決定)の事実を事業主に伝えることについて

中間報告書においては、「労災保険給付の支給決定(不支給決定)の事実については、事業主が早期に災害防止に取り組む上で必要な情報であるとの点に加え、事業主の保険料負担が労働基準法の災害補償責任を基礎としている点、事業主が認定処分の取消訴訟等において、労災保険率の決定の基礎とされた労災保険給付の支給要件非該当性を主張するという手続保障の観点から、事業主に対して情報提供されることが適当と考える。」と整理されている。

しかしながら、「早期の災害防止」を理由に支給(不支給)決定の事実を事業主に知らせるべき理由はない。すなわち、事業場での事故の発生は、労災の支給(不支給)決定が出る前の段階で、事業主において当然把握すべきものであるし、どんなに遅くとも事業主証明欄への記載を求められたり、労基署による調査がなされた段階で把握することができる。また、労災認定の有無にかかわらず、事業主は何らかの災害発生を把握した時点で、かかる災害について自ら調査し、再発防止措置を取らなければならない。労災保険給付に関する決定が知らされて初めて自らの事業場での事故の発生を知り、対応する事業主など存在してはならない。

したがって、労災保険給付に関する決定の事実を知らせることによって「早期の災害防止」が図られることはない 。

また、「手続保障」を理由に不支給決定を事業主に知らせるべき理由もない。すなわち、支給決定は保険料の増額につながりうるとしても、不支給決定によって事業主の保険料が増額することはない。したがって、手続保障の観点を理由に「不支給」決定について事業主に知らせることは全く正当化されえない。

建議においては、「事業主に早期の災害防止努力を促す等の観点から、労災保険給付の支給決定(不支給決定)(以下「支給決定等」という。)の事実を、同一災害に対する給付種別ごとの初回の支給決定等に限り、労働保険の年度更新手続を電子申請で行っている事業主に対して情報提供することが適当である」とされているが、中間報告書が挙げる、「早期の災害防止」及び「手続保障」のいずれの観点からも、不支給決定の事実を事業主に伝える必要はない。また、支給決定の事実について、事業主が保険料認定処分等の当否を争うための手続保障の観点から伝えることはあり得るにせよ、その範囲は次に述べるとおり限定的であるべきである。

⑵ メリット制の適用を受ける事業主に対して、労災保険率の算定の基礎となった労災保険給付に関する情報を提供することについて

中間報告書においては、「メリット制適用事業場の事業主に対して提供する労災保険率の決定の基礎となった保険給付に関する情報については、事業主が保険料の認定処分の取消訴訟等において、労災保険率の決定の基礎とされた労災保険給付の支給要件非該当性を主張するという手続保障の観点から、事業主に対して提供され、事業主が自ら負担する保険料が何故増減したのかがわかる情報を知り得る仕組みが設けられることが適当と考える。その際、提供する情報の範囲については、保険給付に関する情報には被災労働者に係る機微な情報を含み得ることに留意しつつ、検討する必要がある。」として、「保険料の認定処分の取消訴訟等」の「手続保障の観点」から事業主に保険料の増減の理由がわかるようにすべきと整理している。

まず、そもそも、保険料が減額される場合は事業主に対して不利益が生じないから、手続保障を理由に事業主に情報提供をすべきことにはならないことは当然である。手続保障の観点から導かれるのは、保険料が増額する場合における情報提供のみである。

そして、事業主は労災支給決定の当事者ではなく、労災保険給付の支給(不支給)決定の判断は請求人である労働者と行政(労働基準監督署)の関係において完結するべきものであるから、本来、かかる判断をなすために収集された情報が事業主に提供されることは予定されていない。だからこそ、請求人は、自らの病歴等機微にわたる情報についても提供するのである。したがって、仮に事業主に何らかの情報提供をするにしても、その範囲は必要最小限の事項に限定されなければならず、労働者の機微情報やプライバシー等が提供されることはあってはならない。

そして、手続保障の観点からは、事業主が増額の原因となった保険給付を特定できる程度の情報(支給決定がなされた事実及び処分年月日等)が提供されれば足りる。事業主は、どの事故について労災認定がなされたかがわかれば、事業主が自ら把握している当該事故の情報と合わせ、増額の原因となった保険給付を特定することができるためである。

この範囲を超えて、仮に支給処分の理由や請求人の病歴等の情報についても事業主に提供されることとなれば、それらの情報が知られることを望まない請求人による労災申請自体を委縮させかねない。また、事業場内での「犯人捜し」にもつながりかねず、結果として請求人以外の者から調査への協力を拒まれる可能性も高まる。例えば、パワーハラスメントを訴えていた請求人の精神疾患について労災認定がなされた場合、かかる労災認定がされたという事実が提供されるだけでも、請求人以外の従業員が、パワーハラスメントが存在したことについて供述したのではないかとの疑いを生じさせ、事業主に「犯人捜し」をするきっかけを与えるおそれがある。パワーハラスメントが認定されたという事実が情報提供された場合には、このおそれはより一層強く生じることになる。なお、現在労政審では、使用者側委員から、労災の再発防止のためにも「請求人と同様の情報」が「請求人と同じタイミングで」事業主にも知らされるべきであるとの発言もなされている。しかしながら、上記のとおり、そもそも支給決定の情報提供はあんしん財団事件・最二小判令6年7月4日民集78巻3号662頁(以下、「あんしん財団事件最判」という。)を契機とした手続保障の観点から要請されているものであって、保険料の増額の有無とは無関係になされなければならない再発防止とは異なる問題である。

⑶ あんしん財団事件最高裁判決について

中間報告書は、情報提供をなすべき根拠として、あんしん財団事件最判が、メリット制適用事業主への「手続保障」に言及していることを挙げる。

しかしながら、あんしん財団事件最判が指摘する「手続保障」は限定的であり、労災保険給付の支給決定又は不支給決定の時点でこれに関する情報提供をなすべき論拠とはなり得ない。その理由は次のとおりである。

すなわち、あんしん財団事件最判は、「労働保険料の徴収等に関する制度の仕組みにも照らせば、労働保険料の額は、申告又は保険料認定処分の時に決定することができれば足り、労災支給処分によってその基礎となる法律関係を確定しておくべき必要性は見いだし難い。」と判示して、同事件原審判決(東京高裁令和4年11月29日労判1285号30頁)中の事業主が労災保険給付取消訴訟の原告適格を有する旨の判断を覆した。

その上で、メリット制の適用を受ける特定事業の事業主の権利保障に関して、「特定事業の事業主は、自己に対する保険料認定処分についての不服申立て又はその取消訴訟において、当該保険料認定処分自体の違法事由として、客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額が基礎とされたことにより労働保険料が増額されたことを主張することができるから、上記事業主の手続保障に欠けるところはない。」と判示している。

この判示事項を踏まえると、「手続保障」として必要な事項は、行政不服審査手続又は行政訴訟において、「客観的に支給要件を満たさない労災保険給付の額が基礎とされたことにより労働保険料が増額されたことを主張することができる(こと)」である。このため、処分行政庁は、行政不服審査手続又は行政訴訟手続が始まった後、審理に必要な情報を提供すれば足りる。

以上