労災保険の特別支給金を保険給付に一体化すべきとの意見に反対する声明
2025/5/28
労災保険の特別支給金を保険給付に一体化すべきとの意見に反対する声明
2025年5月28日
日本労働弁護団幹事長 佐々木亮
1.はじめに
2024年12月24日から開催中である「労災保険制度の在り方に関する研究会」において、一部の委員から、労災保険の社会復帰促進等事業の1つである特別支給金を労災保険給付と一体化させる(特別支給金の保険給付化)べきであるとの意見が表明されている(同研究会第3回等)。
しかしながら、特別支給金の保険給付化は、被災労働者とその家族(遺族)らに対する救済を大幅に後退させ、被災労働者の社会復帰に重大な不利益を与え、社会復帰促進等事業の制度の本質を損ねる懸念がある。
よって、当弁護団としては、特別支給金を保険給付化すべきであるとの意見には反対である。
2.被災労働者が被る重大な不利益
特別支給金が保険給付化された場合、特別支給金が損益相殺の対象となるため、労働者が使用者から支払を受けることができる賠償額が大幅に減少する。例えば、休業特別支給金については休業給付基礎日額の2割が、障害特別支給金については障害等級に応じて8万円(14級)から342万円(1級)が、遺族特別支給金については300万円が減少することになる。
このように、特別支給金の保険給付化は被災労働者に対する実質的な補償水準の大幅な減少に直結するのであって、被災労働者らの被災後の生活に重大な不利益をもたらすことになる。また、使用者にとっては労働災害を抑止するインセンティブを削ぐことにもなりかねない。各企業における災害補償規程や、民間のいわゆる労災上乗せ保険の保険料等も、特別支給金が損益相殺の対象とならないことを前提に定められているのであって、保険給付化による実務の大混乱は必至である。
3.保険給付化すべき積極的な理由はないこと
特別支給金の保険給付化に賛成する根拠の1つとして、現在、特別支給金に関する決定に処分性が認められておらず不服申立の対象とされていないが、とりわけいわゆるボーナス特別支給金については労災保険本体の給付の算定に用いない「算定基礎日額」の概念を用いるため独自に不服申立の対象とすべき必要性もあるものと考えられるところ、特別支給金の保険給付化によって特別支給金に関する決定も不服申立の対象とすることができることが挙げられている。
しかしながら、同じく社会復帰促進等事業である義肢等補装具費や労災就学援護費等に関する決定は、現在も厚生労働省労働基準局長通知(平成22年12月27日付基発1227第1号「社会復帰促進等事業として行われる事業に係る支給、不支給決定等の処分性について」、平成26年7月10日付け基発0710第5号「「社会復帰促進等事業として行われる事業に係る支給、不支給決定等の処分性について」の一部改正について」)によってそれぞれ処分性があるものとして取り扱われているのであるから、特別支給金に関する決定に処分性を認めるために保険給付化をする必要性はない。
また、特別支給金の保険給付化に賛成する異なる根拠として、特別支給金を含む社会復帰促進等事業一般に関する決定は「保険給付に関する決定」(労災保険法38条)ではないから、労働保険審査官及び労働保険審査会法(労審法)の定める不服申立手続の対象とならず行政不服審査法に基づき不服申立手続によって処理されているが、不服申立手続の併存により同一の事案について異なる判断がなされる可能性も否定できず手続上も請求人に二重の負担を課しているという状況が、保険給付化によって一本化されることも挙げられている。
しかしながら、社会復帰促進等事業に関する不服申立手続の件数は、直近3年間の平均で年間11件程度に過ぎず(第3回研究会労災管理課長発言による)、不服申立手続が併存している状況について対応すべき緊急性は乏しい。また、保険給付化以外の方法による不服申立手続の整理も可能である。不服申立手続の簡素化のために、被災労働者に対する救済を大幅に後退させる保険給付化という手段を取ることは、目的に対して手段が過剰なものと言わざるを得ない。
4.社会復帰促進等事業の性格
そもそも、社会復帰促進等事業は、法定の保険給付では対応しきれない個別事情や時代の変化に柔軟に対応するための制度であり、省令等で弾力的に運用することができ、制度改正に時間がかかる法定給付とは異なる性格を有しているものである。
最高裁判決(最判平成8年2月23日)においても「特別支給金の支給は、労働福祉事業の一環として、被災労働者の療養生活の援護等によりその福祉の増進を図るために行われるもの」であり「特別支給金が被災労働者の損害をてん補する性質を有するということはでき」ないとされており、保険給付と(社会復帰促進等事業の1つである)特別支給金の性質は異なることが明確にされている。
社会復帰促進等事業の柔軟性は、被災労働者に対する的確かつ迅速な支援の実現を可能にするものであり、保険給付化によってこの柔軟性が損なわれ、制度の本質を損ねる懸念があるのであるから、社会復帰促進等事業の保険給付化は慎重にも慎重を期す必要がある。
5.おわりに
労災保険制度の本旨は、被災した労働者に対して適切な補償を行い、労働者の福祉の増進に寄与することにある。制度設計の中心に据えるべきは、「制度の簡素化」ではなく、「被災労働者に対する補償」である。制度の簡素化が補償の後退をもたらす事態は本末転倒なのであって、当弁護団は、特別支給金を保険給付化すべきであるとの意見には反対である。
以上